私が若かった時代、みな学ぶことに飢えていた
昭和20年当時、私が京都の女学校を卒業する頃、日本女子大学国文科に推薦入学する予定だったのです。でも、日本ではまだ戦争が終わっていなくて東京は京都に比べてもっと危ないからと、京都にとどまることになりました。ちょうど京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)が女子学生をとることになったので入学を決めました。その頃は「日本画学科」と「図案学科」しかなくてね、私は日本画を専攻しました。図案学科は今でいう建築やプロダクトデザインを学べる所で、家業が西陣織や清水焼の子弟が来ていましたよ。今の人たちには想像もつかないと思いますが、私達は勉強することに飢えていました。女学校でも戦時中は勤労動員されていたので、勉強したくてもほとんどできない状況だったのです。その反動で、大学へ入ったらものすごい勢いで勉強をしましたよ。知的欲求が強くなっていたのかもしれません。
真面目だけどユーモアのある絵画
誰でも最初に習った先生からは、一番影響を受けるものですよ。それが私にとっては日本画の上村松篁先生と池田遙邨先生の両者でした。上村先生の特徴は絵に対して「大まじめ」であることです。私も学生の頃から今まで変わらず、公園、動物園や水族館に行っては、植物や動物の写生を沢山しておりました。池田先生の場合「マンガっぽい所を取り込むこと」です。マンガっぽいとは、例えばキツネがふいっと首を振り向けているところなど、いたずらっぽくも楽しい感じを絵の中に取り入れることがあります。
絵の本質は「色と形」に限る
私の人物画の場合、描いているとモデルに似て来るみたいですよ。母(日本画家:三谷十糸子)がかわいい女の人を描いていたので、自分はかわいい女の人を描きたくないのです。特に絵に対しては思想があるわけではありません。描きに描くことで必ずいい絵ができます。それに、絵の本質は「色と形」しかないと思いますよ。ブラックの絵を見ていてもそうですが、やはり色と形ではっとさせられますからね。そこに絵の心地よさがあります。
刻々と変化する自然からのアイデア
「子供の情景」という絵を描いたときのこと。その年の夏は雨が全く降らなくて、水不足で東京の水瓶が空になったというニュースを聞きました。それを確かめるべく、狭山湖と多摩湖を見に行きました。そしたら本当に湖の水が枯れてしまって、風変わりな光景が広がっていたので、それを一生懸命デッサンしましたよ。暫くして一度雨が大量に降ったことから今度は湖が水で満杯になりました。ですから、その空っぽになった湖の不思議な光景はその時しか描けないイメージだったのです。自然には架空の風景を超える、面白いイメージがいくつもあるのです。
対象物をよく観察することによって、新たな発見がある
大学を退官してから、モデルさんを手狭な自宅内で設置するのが難しくなってきたので、人物から身の回りのものを描くようになりました。それでも絵を描くことに困ると、井の頭公園に行きます。そこにいけば、何か描くものがあり、何かの出会いがあるのです。絵を描くことによって、対象を注意深く観察します。そしてそれは思いがけない新しい発見につながることが多くあります。例えば、馬の体の模様など、ズボンをはいているような模様だったり、ソックスを履いているような模様だったり・・・と空想もできない驚きがあったりします。とにかく、年がら年中、絵のことを考えていなければいけません。そうすると、ああ、こういうものを描いてみたいとアイデアが浮かんできます。今後は、街の中のモチーフに着目して、表現してみたい
今後は街の中の題材を描いてみたいです。実は最近2つの「駅」を描いたことがあります。その1つが「東京駅」ですが、駅建物の1階と2階の窓の形が丸かったり、四角かったりと微妙に違っていて面白かったですよ。きれいな駅より、古い駅の方が描きやすいので、探しています。そんな風に、これからは街にあるものを描いていきたいですね。また、新しい発見があるかもしれません。
三谷青子の陶芸作品〜趣味の陶芸も自分の絵と似ている〜
退官して間もなく、趣味で陶芸を初めて、最近は陶器のことばかり考えることもあります。陶器も絵と似たようなところがあり、形と色にこだわりを持って作っています。小さな陶芸のコンクールで賞をいただいたこともありました。染め付けという技法をほどこした陶器のお皿ですが、染め付けた絵柄が写生した鳥と魚でしたので、それがよかったようですね。陶器そのものの評価というより、その絵柄が新鮮に映ったのでしょうか…。
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