絵画との出会い
当時、千葉県鎌ヶ谷市に住んでいたのですが、近所に有名な画家の方がおられました。その先生のアトリエへ遊びに行ったり、スケッチにご一緒させて頂いたり、とても親しくして頂きました。そのような環境から絵の魅力の虜となり、のめり込むようになりました。一度茨城県に越しましたが、その後千葉市に移り住み、別な仕事をもちながらも、画家・山本不二夫先生に師事し、本格的に絵を描き始めました。恩師との出会いと学び
山本先生からは、絵画の技法を細かく学ぶというのではなく、よく先生の姿をじっとみていました。技術的なものより、内面的なものを学ぶ、そばにいるだけで伝わる何かがあります。一度、半紙の上にある砂糖と塩を描き分けなさい、と言われたことがあります。その当時の自分は片方にコーヒーを置いて砂糖を表現し、もう片方には瓜をおいて塩を表現しようと思っておりました。つまり説明的なのですが、今考えるとそれは、「甘い」、「しょっぱい」をどれだけ心で感じて、いかに表現するのかが重要であるのだと思います。今になっては、昔の先生のおしゃっていた言葉がいきいきと蘇ってきては「あれは、こういう意味だったのだ。」と考えさせられます。テーマ:elegy
について
私の20代の絵はメルヘン調、30代は裸婦像、そして、40代に入ってからは「elegy」(人生の悲哀の象徴)をテーマに描いております。人間の見えない隠れた部分と内面的な部分を表現したいと模索しております。このテーマを十数年描き続けていたあるとき、Y字路にぶつかりました。Y字の右が「悲」とすると左が「哀」です。その分岐点に立ったときに、愛する妻が亡くなりました。彼女が身をもって「本物のelegy」を教えてくれたように思います。そして、亡くなった妻が、右の辛い「悲しみ」ではなく、左の温かみや優しさのある「哀しみ」に進むように道筋をたててくれたのだと思っています。マチエール、曲線と暖色を用いた技法
私の場合、マチエールに特徴があるのですが、全て偶発的なものではなく、意図的にかなり創り込んでいます。時間はかかりますが、確かなものになります。表現のためには必要なところに、必要なことを施しています。また、優しさを出すためにフォルムは直線より曲線を用います。そして色彩は温かみのある暖色を使います。そうやって、どんなに悲しいものであっても温かさを醸し出せるような作品を創っていきたいと思っています。「哀」に重きをおいた表現の追究
今後も「elegy」をテーマに描き続けると思います。悲哀の「悲」と「哀」の配分は2:8くらいの割合で描いていくでしょう。テーマが深く、どこまでも掘り下げられるので・・・結局は自己満足の世界になるのでしょうか。夢中になって伝えなくも、見てくれる人が少しでも共感してくれれば幸いですね。
|