審査員/現代美術家 多摩美術大学教授:海老塚耕一 講評
画家 多摩美術大学教授:岡村桂三郎講評
美術評論家 美術ジャーナリスト:藤田一人講評
桂典子
この作品が何を語ろうとしているのか分からないが、とにもかくにも描かれているものは分かる。
おかずや食材の光景に何かを見たのだろう。
その中に現代が潜んでいるということではあまりにも短絡しすぎであろう。
では何であるのか、実はその疑問が作品を成立させていると言うことだ。
金子絵里
まず補色によって作品を成立させていることに興味を持った。
赤の影となる緑の妖しい存在感が素敵だ。
作者の想い以上に作品は構築されているのだろう。
これから作品によって何を語っていくかが課題となる。
このままでは同じ作業の繰り返しを行っていくように思われる。
とにもかくにも考えることが必要。
齊藤千尋
応募作品のなかでは最も魅力を持った作品であったが、この作品をなぜ描かなければならなかったのかを考えてほしい。
色彩には人並み以上の感受性があると言えるのだから、その力を現代というなかでどのように表出していくべきかを真摯に考えてほしい。
この作品は現代を支える作品とは言えないのだから。
ササキ永利子
何かを語っていると言えばそうなのだが、それはあまりにも個人的な問題なのかもしれない。
それを語ることが現代の美術なのだと言われれば、反論することもないのだが、はたしてそれで絵画が生きていけるのだろうか、と考えた作品である。
現代というものが観者と異なる場所にあるのだろう。
問から問題を作ることを試みてほしい。
日比谷泰一郎・林聖
現代とはどのようなもので、そのなかで表現を行うということはどのようなことなのか問いたい。
私たちは今何を答えとして制作すればよいのか、そんな疑問がどこからも聞こえてこない作品群である。
現代という流れの、まさにそのなかで制作していることを真剣に考えてほしい。
そう、もはや僕の感性はこのような作品に向かうことは出来ない。
現代において描くこと、そして制作すると言うことはどのようなことなのか、さらに考えてほしい。
思索の森に踏入、問いかけをし、きちんと自らが成すべきことに対する問題を作り、画面に向かうことを切に願う。
幾人かの審査員がおふたりに票を入れたのだから、何かしらの力を持っているのでしょう。